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ロボットに心はないのか?と考えると他人にはなぜ心があるのか?と考え始める

ロボットに心はないのか?と考えると他人にはなぜ心があるのか?と考え始める

カプグラ症候群、という妄想症をご存じでしょうか?
たとえば自分の母親などが、ロボットやエイリアンに「乗っ取られてしまった!」と「確信する」という症状です。

ちょっと聞いただけであれば、「子供にしてはユニークだがいささか微笑ましい」などと思われるかもしれませんが、これはなかなか深刻な症状です。

子供だけがもつような妄想でもありません。
次のニュースを記憶されている方もいらっしゃるでしょう。

両親にのこぎりで切り付けたとして、大阪府警守口署は23日、殺人未遂の疑いで大阪市鶴見区の会社員の男(37)を現行犯逮捕した。「親が別の人間に入れ替わっている。いずれ自分もやられると思った」と意味不明なことを話しているという。

心の理論、という概念があります。自分と同じように、他の人も「心」をもっているから、自分と同じように考えていて、だから理に叶った行動をすると考えられることをいいます。

この発想は至極まっとうなもののはずですが、とは言え「他の人が心を持っている」のを目で見て確かめたという人はいないのです。ワトソンやスキナーなど、高名な行動主義者と言われる心理学者たちは「心はブラックボックスである」と指摘して心理学の世界に革命を起こしました。

つまり、心は見えないので、心理的に悲しいだとか嬉しいだとか怒っているとかいったことは全部、目に見える行動、振る舞いから推測しているに過ぎないという事実を徹底的に指摘しました。

あまりに長く待たされて、激怒した男性が、銀行の窓口で怒鳴っている

というのは、決して不思議な話ではないですが、行動主義的にいえば、「長く待たされた」「顔を紅潮させて男性が怒鳴っている」ことしか「確実」ではなく、男性が「激怒している」かどうかは分からないのです。少なくとも確実ではないのです。実は、内心では喜んでいて、ただ、怒る演技をしているだけかもしれません。

そんな発想はわけがわからんと思われるでしょうが、50年後、銀行の窓口で怒鳴っているのが「人間そっくりのロボット」だとしたらどうでしょう。あまりに待たされ→怒鳴る、という行動は「ビッグデータ」による振る舞いに過ぎないのかもしれません。

ロボットは、「起こる振り」をしているだけで本当に怒るということはあり得ないでしょうか? この「本当に」と言うときに「心」の存在が暗示されます。

私たちは他者に「心」が認められないと、途端に不安になります。「自分と同じような心がある」という推定が、信頼というモノの土台になっているからです。

実は自分の知らないところで、町の人はみな「精巧なアンドロイド」に入れ替わっていて、振る舞いこそふつうの人間そっくりだが、その主体的な心はどこにもない、となったら、本当に間違いなくそうだとなったら、私たちは今のように意欲的に生きることはできなくなり、不安でしようがなくなるでしょう。

でもじっさいのところ、アンドロイドに入れ替わってなどいなくても、「他人に心がある」という保証はないわけですから、「不安でしょうがなくなる」潜在的な可能性は常にある、といわざるを得ません。こういうことが、私たちの根源的な不安の源になっていると考えられます。

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